実行委員長挨拶

初めまして。第59回の実行委員長で、東京大学教養学部文科一類2年の川口耕一朗です。
委員長になってからの4ヶ月間、無我夢中で来年の会議に向けた準備をしてきました。今回、ブログ初日記ということで、僕のJASCとの出逢いと、59回に対する意気込みを語っていきたいと思います。
JASCを知ったのは去年の2月でした。ゼミの飲み会で、前に座っていた先輩がたまたまOBで、JASCで過ごした素晴らしい思い出を熱く語ってたのを聞いて、自分も参加してみたいと思ったのがきっかけです。「最高の思い出」と「最高の仲間」が作れる。その言葉に込められた彼の言葉に心を打たれ、JASCに参加しました。
アメリカで過ごしたJASCでの1ヵ月。それは「飽くなき情熱」を持った72人の学生が作り出す、可能性の結晶でした。時にはお互いぶつかり合い、困難に直面しながらも、それを乗り越えていく。そして、会議終了時には参加者同士の深い絆が生まれる。それを可能にするのが、1ヵ月の共同生活を学生自身の手で作り上げていくという、1934年から続いているJASCの伝統だと思います。
日米学生会議」というと多くの人が、英語のできる学生がアカデミックな議論をする場だと思われるかもしれません。しかし、それだけではないのがJASCの魅力です。僕もこの夏、他の参加者と地上15�R0DY近い橋から川でダイブしたり、夜のニューヨークのバーで踊ったり、星が輝くオクラホマの夜空の下で一晩中語り明かしたり、サンフランシスコのビーチで日米サッカー試合をやったり。学ぶ時は学び、語る時は語り、遊ぶ時はとことん遊ぶ。そんなメリハリがあるからこそ、JASCerは一生来の友になりえるのではないでしょうか。
今度は「最高の思い出」、「最高の仲間」を作る機会を提供していきたい。そんな思いで、実行委員長になりました。そして、実行委員への立候補を断念した仲間や当選できなかった全ての仲間の思いを胸に、第59回を「史上最高」の会議にしていきます。
陸上一筋で来た僕にとって、実行委員の仕事は「初めて」の連続でした。失敗を繰り返し、他の実行委員や関係者の大人の方々に何度も迷惑をかけ。でも失敗は成功への糧であり、常に挑戦者として、自分の情熱をJASCにぶつけていくつもりです。日米両国の実行委員16名全員で一致団結して、2007年を最高に熱い夏にしてみせます。


【第59回日米学生会議理念】
Advocating Japan-America Participation in Global Change
太平洋から世界へ〜グローバルパートナーシップの探究と次代の創造〜

「世界の平和は太平洋の平和にあり、太平洋の平和は日米間の平和にある。その一翼を学生も担うべきである」という理念の下、1934年満州事変を契機に悪化していた日米関係を憂慮していた4人の日本人学生が太平洋を渡り、日本初の国際学生交流プログラムである日米学生会議を創設した。以後、太平洋戦争勃発に伴う会議中断をはじめ数々の困難を乗り越えながら、学生同士の率直な対話が相互理解を深め、平和の実現に貢献するという創設者の信念が継承され今日に至る。

日米学生会議は創設時より学生独自による会議の企画、運営が行われ、毎年夏日米交互で開かれる約1ヵ月の会議は、日米の学生による相互理解と友情を醸成する場であり続けた。第59回日米学生会議は「太平洋から世界へ〜グローバルパートナーシップの探究と次代の創造〜」というテーマの下で、秋田、東京、京都、広島で開催される。
グローバル化の進展により、日米両国には環境、テロ、貧困、人権、移民などの世界規模の課題に対処するため、二国間の枠組みを超えた協力関係を築くことが求められる。その主体は決して政府に限定されず、企業、NGO、個人などを含めた多様なものになる。太平洋の平和が続き、日米関係が成熟しつつあると指摘される今、会議設立当初の理念に回帰し、地球規模の問題に対応できる協力関係、すなわち「グローバルパートナーシップ」のあり方を探究していく。 

分科会活動、アカデミックなフォーラム、実際に現場を訪れるフィールドトリップ。本会議中、1ヵ月にわたる共同生活を通し、日米両国の学生が特定の利益に拘束されない率直な議論を重ねる。時には互いの価値観を衝突させ、受容しながら、自己を相対化することができ、個人間の絆を深め、異文化間の相互理解に向けて心を開いていく。第59回日米学生会議によって育まれた豊かな人間関係は、必ずや日米両国の国境を超えたパートナーシップを実現すると同時に、太平洋の、そして世界の平和と安定をもたらす創造的な次代を切り拓く礎たり得ることだろう。