8月13日 Naoki Takeda

朝、眠そうな顔をしながら2 台のバスへと乗り込んだJASCers 。広島に別れを告げ、最終サイトである京都へと向かった。途中で大型放射光施設であるSpring-8 を訪れ、第 59 回日米学生会議では初めてとなる科学に関わる施設を訪問した。神戸日米協会で昼食においしい天ぷらとそうめんを頂いたあと、姫路城を見学し、移動日にも関わらずイベントが満載であった。しかし、バスの乗り降り、35 度を越える厳しい暑さ、そして長い旅の疲れが蓄積したせいか JASCer が次々とダウンして行き、衣笠セミナーハウスに着くころには皆くたびれていた。その夜、タレントショーの練習をするはずがベッドへと直行し、早々と眠りについてしまった。

8月12日 Kyohei Takano

戦争の面影を今の刻む街、広島。
今日はその広島滞在の最終日。私たちは広島などの学生を交え日米広島学生会議と称し、地元の方々を巻き込んだ大きなシンポジウムを開催した。総勢百名を超える参加者が九つのグループに別れ、それぞれ核に関するトピックについて議論し合い、シンポジウムでプレゼンテーションを行うという形だ。議論に費やせる時間は当日の午前中だけであり、必ずしも十分な議論ができたとはいえないだろう。ここでプレゼンテーションしたことが現在の世界の核状況に直接的な影響を与えるとも思えない。しかし、私たちは確かに広島という街で、核についての知識を共有し、真剣に考え、それぞれの意見を述べたのである。このことがどれほど世界に対して影響をもてるのか。この経験が種となり、皆の心の中に息づき、世界に二度と「広島」が生まれないための何かが形成されることを願ってやまない。

8月11日 Yukari Shinohara

“Please let me go, I have to help my son!” “Please tell the teacher I came here…”62年前のこの街で起きた惨劇の中で聞かれた悲痛な叫び声を再現 し、会場の私たちを震感させたのは、「ヒロシマの心を伝える会」代表の松原美代子 さん。8月11日、広島平和記念館にて、私たちは彼女から原爆の体験談を伺った。 あの日爆心地から 1.5キロの場所で被爆した松原さんは、世界中のあらゆる場で平和
への希求を訴え続けてきたという。
歴史を後世に残す行為には記録と記憶の二通りがあると言われる。歴史は国家や立場 によって見方が異なり、また平和の定義も人によって様々で当然だが、特に私たちの ような“戦争を知らない子供たち”が過去を記憶する上で、今回のような体験談に触 れ、その語り部にとっての「真実」を一つでも多く心に留めることが必要だと感じた。会場をあとにして地上に出た瞬間、それまでとは違う広島が見えた気がして、日米両国の学生がこの地に立っていることの意義深さを改めて 実感したのは私だけではないはず。

8月8日 Reirui Ri

秋田フォーラム当日、背後で一列になって座っている高校生たちとの交流に胸をわくわくしながら、台上のスピーチに耳を傾ける。この旅においての初めての同時通訳付きフォーラム、みんないくらか安心して見えた。明石さんの洞察力のある発言にうなったかと思えば、茂木さんのスピーチで爆笑の渦に巻き込まれる会場。その一体感がなんとも居心地よかった。グループに分かれての高校生との交流は、初対面特有のぎくしゃくさも交えつつ無事成功。パネルディスカッションにまた会場は夢中となる。レセプションではなまはげの演技もさることながら、それを傍で熱っぽく説明してくださる秋田の人々のご好意と温かいおもてなしを再認識した。秋田が凝縮された一日であった。

8月7日 Sunyoung Oh

8月7日はPOP ART 分科会にとっては記念すべき日である。本会議が始まってからアメデリとジャパデリとの考えの差が大きいということを知ってその差を理解するのに分科会の半分以上を使ってしまったのである。Final Forumまで残っている分科会の時間はその時点でもう広島で一回しかなかったので私達は最後の決断を下すしかなかった。ビデオを作るのか、パワポで発表だけするのかーそこでビデオを作るという意見が一番多かった。それが決ってからは速戦即決だった。自分がやりたいトピックによって三つの小グループに分かれてそれぞれ準備に入った。分科会の方向性がやっと見えてきたのでその後のダンス練習やダッチボールは本当に心から楽しむのができた。軽くなった気持ちでドッヂボールでは最後の一人になったりして心も体も久しぶりにすっきりした日だった。

8月6日 Shinji Mochizuki

今日はAIUにて午前中に分科会セッションを1つ、午後にもう1つこなし、そして夕方から夜にかけては竿灯祭りに行きました。毎日が盛りだくさんの会議の中でも特に皆の記憶に残った1日の1つだったと思います。
竿灯祭りは僕が今まで見たどの祭りよりも楽しいと感じました。竿灯を揚げる達人達の大迫力の技に脈が高まったのは言うまでも無いですが、それ以上に、大人達の横で立派に竿灯を揚げる少年達に対して、僕は声がかれるまで応援してしまいました。最後には見物客も実際に竿灯を持つなどして参加者達と触れ合うことができ、ジャパデリ・アメデリ皆が満足できたのではないでしょうか。8月6日は僕が秋田を益々好きになった日でした。

8月5日 Eri Mashima

2泊3日お世話になったホストファミリーに朝、別れを告げる。温かいおもてなしをして下さった御家族と離れるのは辛く、涙が溢れて止まらない。必ずまたお会いしましょう、とAIUに戻るバスに乗り込んだ後も姿が見えなくなるまで手を振り続ける。
AIUに到着後、2日ぶりに他の町にステイしていたJASCerと再会。なんだか凄く長い時間会っていなかった様な気がする。いつの間にか皆と一緒にいるのが当たり前で、私にとって皆はなくてはならない存在になっていたのだと気付く。 昼からは久しぶりのRTwork。大自然の中でたっぷり休養したせいか活発な議論が行われる。
夜はリフレクション。皆といるとホッとする。嬉しい事も辛い事も私達は共有している。どんなに厳しい問題でも自分で考えて皆とだったら解決策を見い出せる気がする。本会議が始まって10日しかたってないのにJASCが私の中に根付いている事を確信する。JASCで学んだ事、経験を出会った人、そして社会に還元していきたい、そんな風に思った一日だった。